【アーカイブ】酒田しんごのポエティックナイト

かつてnote定期購読マガジンで連載していたポエムのアーカイブです。

期間:2020年4月~2021年8月
協力:佐々木ヤス子(@yasuko696

Photo by Akane Kiyohara

酒田しんご(1)

「キョフテ…プリーズ…」
まるで我慢強い肉食動物のような視線で、最低限の要件を男に伝える。

ここは、東西の文化が交わるトルコ最大の歴史都市、イスタンブール。
日本を発って10日で7フライト。ネパールでスコールに遭い、バンコクで洪水に浸かり、コペンハーゲンで冷気に吹かれ、イスタンブールに降り立った瞬間、まるで詩人が句読点を打つように風邪をひいた。

ーーPM 9:00

空港からバスに揺られ、旧市街の外れに佇む、海沿いのこぢんまりとした3つ星ホテル「Sea House Suites」にチェックインしたあと、ペットボトルの水を飲み干し、ベッドにぐったりと倒れ込んだ。まるで痩せた大きな栄養失調の犬みたいに。

真実と虚構のグラデーションを彷徨いながら、過去を映す水たまりにそっと手を差し伸べる。
隠しようのない空腹の中で、かつての親友の言葉がシンボリックに反復する。

「トルコに行ったら、ケバブよりキョフテがいいっすよ」

*キョフテ(köfte)とは、トルコ版ミートボールのことで、ラムや牛肉の挽肉にタマネギを加えて小さく丸め、高温で焼き上げたもの。

彼はスミレ味のシーシャを燻らしながら、穏やかに、でも躊躇のない声で言った。

ーーPM 11:00

「そうだ、キョフテを食べよう」

ゆっくりとまぶたを開き、重い腰を上げ、朦朧とした意識で夜の市街地へ繰り出す。
まるで植物の種子が気紛れな風に運ばれるように。

なにを隠そう、僕は彼の足跡を追いかけて、世界中を旅しているようなものなのだ。

世界遺産・ブルーモスクの裏側「アラスタバザール」の入口に、まだネオンが光るレストランが見える。
お店の名は「Serbethane」。いかにも観光客向けの面構えだが悪くはないだろう。

端麗な説得力のある髭を貯えたトルコ人のウェイターを呼ぶ。

「キョフテ…プリーズ…」

もはやメニューを見る体力すら残されていない。
まるで我慢強い肉食動物のような視線で、最低限の要件を男に伝える。

男は芸術的とも言っていいくらいの手つきで、ナイフとフォークをテーブルに配膳し、風格のある流麗な笑顔でプレートを運んできた。
トルコ人の男はウザいと噂に聞いていたが、決してそんなことはなく、弱り切った僕にとっては、優しい太陽、聖母マリア様のような存在に思えた。

こんがり焼き上げたキョフテと、色鮮やかな野菜、黄金色のスープがテーブルを彩る。
アツアツで小ぶりのキョフテを口に含んだ瞬間、真っ白なキャンバスに夢を描いたような美味しさが全身を包む。

僕のポケットの中の「ありがとう」はいっぱいになって、留保のない感謝の心を自分自身で感じ取ることができた。
トルコ、そしてこの国の人々はかくも素晴らしい。

ーーPM 24:00

お会計のため男をテーブルへ呼び、クレジットカードを手渡す。

男「One Thousand Dollars.」

僕「???」

男「ワン ・ サウザンド ・ ダラー」

僕「?????(トルコリラは?)」

男「ワン!!サウザンド!!ダラー!!(キレ気味)」

ここで我に返った。
彼は「お会計は11万円になります」という渾身の観光客向けコテコテギャグを言い放ったのだった。

僕「おー、、、Oh my god(棒読み)」

仕方なく顔面蒼白でリアクションをすると、男は陽気な拷問者のような笑顔を浮かべて、いささか立派すぎる髭を整えた。

しばらくこの国に来ることはないだろう。

2019年9月
トルコ・イスタンブールにて

佐々木ヤス子(1)

茹だるように暑い。
夏バテで重い身体をソファに沈めながら、過去の出来事について考える。たわいもないことや、奇妙な出来事、出会った人の中には奇怪な人物も中にはいた。ポエムにするほどではないが、ショートショートとしてそれらのことを書き留めておこうと思う。

□大学生の頃、ビールの店頭販売のバイト中に老人がやってきた。「どうしてもあんたの手相が見たいんじゃ」と言う。バイトは何時に終わるのかと聞かれ、待っているから手相を見せてくれと。面白そうだと思ってバイト終わりにコーヒーを飲みながら手相を見てもらった。手をもみもみされて様々な事を言われたが、全て外れていた。ただのナンパだった。

□交差点の横断歩道の信号待ちスペースで、テニスの壁当てをする老人を発見。かなりの交通量のある交差点。信号待ちの間だけ壁当てをしているのかと思いきや、信号が変わっても壁当てを終えずにボールを追い続けている。なぜそこで。なぜそこで。一つも理解できないまま私はハンドルを右にきって、彼から遠ざかる。

□大学の絵画の教授が、私たち生徒に課題の絵を描かせている2時間の間、いつもフラッといなくなる。ある日とある生徒が、学校内のカフェで授業時間にカレーを食べている教授を発見し、言及した。すると教授は悪びれもせず「教室にいて生徒のことを考えていない先生か、教室の外で生徒のことを考えている先生かどちらがいいと思う?」と言った。教室で生徒のことを考えるという選択肢はないようだ。

□所属しているサファリ・Pのカンパニーメンバーである高杉さんが、大阪の「ニフレル」という生き物との様々面からの触れ合いを売りにした水族館のことを考えながら、「ほら、あの、あれ、なんやったっけ名前…『見てるだけでいーの』みたいな」と言った。見てるだけだとコンセプトに反するだろ。

□ビートたけしさんの「ダンカンばかやろー」をずっと「なんだこのやろー」だと勘違いしていたことに気づく。大人になってから。

□通っている歯医者の、かわいい歯科衛生士さんに「髪の毛切ったんですね」と言われる。「そうなんです、最近」と空気を読んで答えたが、切ったのは1ヶ月前でその間何度もこの歯医者に通っていた。

□実家に帰省した際、母が発情期の猫の鳴き声を聞きながら、「あれって、何で鳴いてるの?どこか痛いの?」と言う。家中に気まずい空気が流れる。

梅干しを二つ口に入れ、熱中症を逃れる。
窓の外では子供達が叫びながら追いかけ合っている。そういえば彼らに先日、10メートルくらいの距離から走って駆け寄られながら「こんにちは!」と叫ばれた。面食らったが、感心したものだった。グラスの中の氷が揺れた。この夏もまた暑くなりそうだ。

佐々木ヤス子(2)

その日は早朝にホテルを出た。
ロサンゼルスは曇り空だったが、どうも空を覆うのはただの雲ではないようだった。

灰色のタイルを履き慣れたスニーカーで歩きながら、ここ数日過ごしたこの土地のことを思った。
ただ楽しいだけの日々ではなかった。初日には殴り合いの喧嘩を目撃し、ホテルを出るやいなやテロリストのような服装でガスマスクをつけた人物に遭遇したり、電車の外から窓を叩き「水をくれ」と叫ぶ人物にも出会った。
ただ過ぎればそれもいい思い出で、これでこのロサンゼルスともお別れかと思うと寂しくもある。

「それらしくあること」への追求は人以上にある私は、この土地に降り立った日にはボディバッグをひしと掴んでいた両手を、ポケットに突っ込み大股で歩く。時折サングラスの角度をくいと直しながら。

雲行きがどうも怪しいと感じていたが、やはりただの雲ではなかったらしい。焦げた臭いがあたりに立ち込めている。火事である。けたたましいサイレンの音が遠くから聞こえる。
どうやらこの街は、ただでは見送ってくれないようだ。

火事の煙とサイレンの音をBGMにラスベガス行きのバスに乗り込んだ。ここから約5時間は揺られることになる。
私はそっと目を閉じて眠りにつこうと努力しながら、またこの街で出会った人々のことを考えた。
金魚鉢を持ちながら歩き、すれ違いざまに奇声を発する人や、肩車で担がれながら追いかけてくる人、小石を地面に叩きつけて割る人。
今となっては、それらを含め全てが愛おしい街だった。

バスが大きく揺れ、停車した。
目を覚ますと先程の黒煙立ち上がる街とは打って変わって、煌びやかな光景の広がる桃源郷のような街だった。
まどろむ足取りでバスの階段を降り、スーツケースを受け取る。眼前にはこれまた煌びやかなホテルのエントランスが広がっていた。金色に塗装された壁に金色の床、どこかの映画祭かと見紛うようなレッドカーペットが迎えてくれる。
授賞式に向かう姿とは程遠い、くたびれた足取りでホテルのロビーに向かう中、何か違和感を感じた。ぽっかりとした喪失感があるのだ。ちょうど胸の、旅の初日にひしと大事に抱えていたボディバッグのあたりに何か嫌な予感を感じる。そこからは早かった。走馬灯のようにロサンゼルスでのあれこれが蘇った後、全てを悟り全身から力が抜けた。
そう、パスポートをあの魑魅魍魎の蔓延る街に忘れたのだ。

ロサンゼルスはまだ、私を逃してはくれないようだ。

佐々木ヤス子(3)

何かを守るためには、何かを犠牲にしなくてはならない。

絶好の釣り日和だった。
季節のわりには高くにある雲がゆっくりと流れた。
新しく買ったライトショアジギングロッドをしならせ鳴らす空気を切る音が港によく響く。
魚なんてちっとも釣れないが、そんなことはどうでもよく、ただただ流れていくこの時間が心地よかった。

漁港に一人の老人がいた。
遠くの方からゆっくり歩いて近づいてきては、屈んで何かを拾い上げ、また近づいてきては何かを拾っている。
老人を横目で確認しながら、竿をしならせた。
魚影はない。
勢いよくキャストする。
リールを巻く。
またキャストする。
あたりは無い。
何度目かのキャストの後、先ほどの老人がすぐ近くまで近づいてきている事に気がついた。
老人の手の中に、いっぱいのタバコの吸い殻がある事にも。

「ここら辺には魚はおらんで。」
「そうみたいですね。」
「釣りたいんやったら、あの辺の影を狙わんと。」

老人は、嬉しそうに対岸の隅を指差した。
彼は存外おしゃべりで、けんちゃんと名乗った。それから、昔はオーストラリアで漁師をしていた事を教えてくてた。
そして引退してこの漁港の近くで暮らしている事、漁港を綺麗に保ちたいからと、毎日ゴミ拾いをしている事も。

「こうやって吸い殻捨てて帰る連中に限って、家の中は綺麗なんやで。」
「そんなもんですか?」
「そんなもんや。」

けんちゃんはそう言いながら、また吸い殻を拾い上げた。
両手いっぱいのタバコの吸い殻の中からマルボロの吸い殻を見つける。昔の恋人が吸っていたタバコの銘柄だ。タバコくさい室内は嫌いだったが、不思議とタバコの匂いが染み付いた彼の髪の匂いは好きだった。ぼうっとそんな事を思いながら、けんちゃんの話に適当に相槌を打つ。そんな私をあざ笑うかのように、海藻に引っかかった竿が揺れた。

「根がかりか?」
「海藻ですね。」
「この辺は多いからなあ。」
「後でさっき教えてもらった所に行ってみます。」
「釣れる保証はないけどな。」

けんちゃんは笑いながら、また吸い殻を拾う。
彼の両手からは、もうほとんど零れ落ちそうだった。
私は彼がゴミ袋を持っていない事に気がついた。釣り道具を入れたカバンの中に、ゴミ袋のストックがある事を思い出した私はリールを巻ききってからけんちゃんの方を向いた。

「よかったらゴミ袋、」

いりますか、と私が言うよりも早く、私の目の前を吸い殻が舞った。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
花火のように放射線状に飛び散る白い吸い殻は、けんちゃんの手から投げ上げられたものだった。
そしてそのまま、無数の吸い殻が海へと沈んでいく。
けんちゃんが、港で拾った吸い殻をそのまま海へと投げ捨てたのだった。

「今日はこれでしまいや。」

あまりの事に固まってしまった私に軽く手を挙げ、彼はくるりと背中を向ける。
去ってゆく港の守護神の背中に向かって、私は小さく「ロックンロール」と呟いた。

酒田しんご(2)

「カサブランカ行きのチケットをください」

「キミ日本人か?」

「はい」

「ファンタスティック!これ見ていけよ!」

かくいうわけで、僕はモロッコ最大手のバス会社「CTM」のカウンターの中で、世界的オンラインゲーム『PUBG』の実況動画をかれこれ20分以上見ている。
日本人が全員ゲーム好きと思い込んだ彼の目は、まるで我慢強い肉食動物みたいにキラキラと輝き、バトルロワイヤルの生き残り方をアラビア訛りの英語で必死に僕に説明している。早く街に戻って、海の幸が詰まったタジン鍋を食べたかった僕は、

「はよチケットくれよ」

心の中でそう願いつつも、彼の良心を簡単に踏みにじることはできなかった。
『PUBG』の『P』の字も知らないほどゲームに興味がないとはとても言えずに、ますますヒートアップする彼の熱弁に「Wow」「Awesome」「What a surprise!」など、これまでの人生における感嘆詞と相槌のバリエーションを総動員しながら、時計の針が進むのを待つしかなかった。

バス乗り場に併設されたチケットカウンターは、乗客の待合室も兼ねた簡素な建物で、昼下がりのやわらかな日差しが白い壁とコンクリートの地面にあたたかい影を落としていた。まるで一昔前のヌーベル・バーグ映画みたいに。

赤いペンキが塗られた背の低い滑り台、不揃いな6本のヤシの木、まるで100年前からそこにあったかのような砂場で構成される向かいの公園では、子どもたちの笑顔が咲き乱れている。入口のドアを通して四角く切り取られたその光景は、そのままそっとリボンを付けてお土産に持って帰りたくなるようなやさしい光景だった。

画面上のバトルロワイヤルがひと段落したところで、彼は満足そうに立ち上がり、奥からチケットを用意してきた。

「145ディルハム(約1,700円)だ」

ー「シュクラン・ビザーフ(どうもありがとう)」

覚えたてのモロッコ語を披露して晴れやかな気分になった僕は、ゲーム実況動画の鑑賞に付き合わされた謎の時間のことすら愛おしくなって、この思い出の1ページと彼の笑顔を何らかの形で残しておきたいと思った。

「May I take a picture with you?(いっしょに写真を撮ってくれないかな?)」

彼は顔をしかめてこういった。

「NO」

2020年3月
モロッコ・エッサウィラにて

佐々木ヤス子(4)

「何が書いてあった?」

旧友の尋ねる声に私は顔を上げた。

何年後かの自分に手紙を書くという出来事は、容易く人をノスタルジーに浸らせる。
高校生時代からの友人と再会し、お互いに交換して保管しておいた手紙を持ち寄った。当時の私たちはそれぞれ「大人になった自分」に手紙を書き連ね、勝手に開いて読んでしまわないようにそれらを交換して保管した。私の手には、若き日の友人が書いた、目の前にいる友人に宛てた手紙がある。そして友人の手には、青臭い青春を過ごした私が書いた、今の私に宛てた手紙があった。

「こっそり読んでないよね?」
「読んでない。」
「じゃあ、交換しよう。」

白い封筒と薄ピンクの封筒が交換される。
友人は薄ピンクの封筒を「せーの」と言いながら開け始めた。中には2枚の手紙が入っていた。私は友人の「せーの」に出遅れながら、固く閉じられた封筒に悪戦苦闘していた。何かの呪いを封印でもしているかのようにギッチリと糊付けされたそれに私が手こずっている間に、友人は手紙に目を伏せ始めた。

「大人になった自分へ。幸せですか?だって。」

友人は笑いながら、びっしりと書かれた手紙を黙読する。
インターネットで「将来の自分への手紙」と調べると、だいたい「幸せか?」と尋ねている。それから「何をしていますか?」とも。18歳の自分からのお願いだと言い、「たった1度の人生、やりたいことをやってください。後悔しない生き方をしてください。」などと書かれたものもあり、人の手紙なのにも関わらず感傷的な気持ちになったものもあった。皆、将来の自分の幸せを願い、希望を抱いていた。

「なんか感動しちゃうね。」

びっしりとつまった文章を読み終えた友人が照れ臭そうに手紙を折り畳んだところで、私はやっと頑固な糊付けとの格闘に勝利した。封筒を開けると、ぺらりと一枚だけ白い紙が出てきた。
ようやく私は手紙を読もうと開いたが、それをすぐ閉じるハメになった。

「何が書いてあった?」

すぐに手紙を閉じた私に、不審そうに友人が尋ねる。手紙をじっくり読もうと開いたものの、そこには立った2行しか書いてなかったのだ。宛名も署名もなく、黒のボールペンで書き殴った文章が。私はあっという間に暗記できてしまったその2文を、友人に伝えるために口を開いた。

「今のお前があるのは私のおかげだ。感謝しろ。」

友人は、ポカンと口を開けて暫く黙ってから、ケラケラと笑った。
私は過去の自分に呪いをかけるように糊付け部分を再び強く押さえつけた。

酒田しんご(3)

飛行機には実にさまざまな人が乗る。

一般客はもちろんのこと、次の勤務地へ向かうCREWも乗るし、芸能人や政治家だって乗る。

そして、犯罪者も。

大韓航空724便。
関西空港とソウルの仁川国際空港を結ぶ、韓国のフラッグシップキャリアだ。

このラインより上のエリアが無料で表示されます。

2時間前にチェックインを終えて、出発ゲートへ向かうスカイトレインに乗り込んだ瞬間、いつもと違うヒヤリとした空気が漂った。

両手にダウンジャケットのような布をかけられ、 2人の女刑事と1人の男刑事に囲まれた、おそらく韓国籍と思われる女性がこうべを垂れて、空間の一点を凝視している。

まるで極めてデリケートな温度管理を要する高級食材を石焼ビビンバに混ぜるような、宿命的な緊張感がそこにあった。

空港で初めて出会うシーンに数分間は理解が及ばず、物事の全体像を咀嚼できたのは、ラウンジで温かいアール・グレイに真っ白な砂糖を溶かしたときだった。

「ご、護送ですよね…?」

「そのようだね」

隣の友人はゆっくりと頷くと、トルティーヤ・チップスを指で摘んで、たっぷりのマヨネーズをディップした。
まるで限りなく優雅に進化した爬虫類のように。

搭乗時刻の11時50分。
ゲートから離れたベンチに彼らの姿があった。

大人4人が向かい合い、会話もなく、スマホもいじらず、雑誌や新聞も読まず、居眠りもせず音楽も聞かず、背筋を伸ばして鎮座している。

まるで何らかの理由で時の流れに置き去りにされた古い世界の儀式みたいに。

搭乗券も読み取らずに、一番最初に搭乗していく彼らの姿は、悪魔と契約したある種の特権階級の様相を呈していた。

彼らが搭乗するのは、機内後部、トイレの目の前の一角。
航空用語で「プリズナー・クラス」と呼ばれる座席だ。

彼女の最初で最後の「贅沢な空の旅」に想いを馳せて、絶望の淵に寄り添ったかすかな希望と共に、飛行機は大空へ飛び立った。

2018年11月
関西国際空港にて

佐々木ヤス子(5)

「飛行機雲がなかなか消えないから、雨が近づいてるかもしれないよ。」

いつものジョギングコースにその少年はいた。
自転車を傍に置き、いつも空を眺めていた。
日によってはスマートフォンで写真を撮っている時もある。何日か彼の側を走り過ぎ、彼がいつも飛行機雲を眺めているのだと気がついた。

危ない、と思った瞬間、咄嗟に手が出ていた。
いつもは側に置いている自転車から、その日は少し離れたところに彼は立っていた。その自転車がぐらりと傾いたのだ。私はその自転車を両手で支えた。


「すみません、ありがとうございます。」
「大丈夫ですよ。」

その日から、彼と挨拶を交わすようになった。
「こんにちは」とどちらともなく挨拶をし、それだけで終わる日もあれば一言二言交わす日もあった。
寒いですね。
いい天気ですね。
いつも当たり障りのない天気の話だった。
彼はいつもじっと空を眺めていた。

「いつも、飛行機を見てるの?」

ある日、そう私が尋ねてみた。

「飛行機もそうだけど、飛行機雲が好きなんです。」

その日から時々、彼が飛行機雲の話をしてくれるようになった。

エンジンの数と雲の本数は大体おなじであること、飛行機が急旋回した時にも雲が発生するということ。
敬語じゃなくていいよと私が言うと、彼はすぐにフランクな話し方に
なった。

「飛行機雲がなかなか消えないから、雨が近づいてるかもしれないよ」
「そうなの?」
「うん、明日はジョギングできないかもね。」
「そっか。」
「ジョギングって楽しい?」
「全然楽しくない。」
「じゃあなんでやってるの?」
「仕事のためだよ。」
「変なの。」

大人って変だと彼は言う。
大人になりたくないと彼は言った。
夕方になったら飛行機雲を眺めてそのままずっと過ごしたいらしい。毎日ぼうっと過ごしたいのだと、彼はのんびりとした口調で続けた。

「大人になるのがちょっとね、怖い。」

彼はスマートフォンのシャッターを切りながら私にそう言った。
私は少し返答に困った。
ゴーっというエンジン音が飛行機の影よりもだいぶ遅れて聞こえてくる。雲は、三本伸びていた。
彼の横顔を見ながら、私はこう言った。

「でもね、大人になることよりも、もっと怖いことがあるよ。」

彼はスマートフォンをポケットにしまいながらこちらを向いた。
無言で、それは何かと彼が尋ねてくる。
私はエンジン音が遠のくのを待ってから、口を開いた。

「それはこのポエムが全部妄想で、少年なんて存在しないしジョギングなんてこれっぽっちもせずに、いい大人が薄暗い部屋でこれをタイプしてるってことだよ。」

酒田しんご(4)

「最終の着陸態勢に入りますので、シートベルトをお締めください。」

バンコク発、成田行きのタイ航空。
大きく揺れる機内は緊張感に包まれていた。

深い眠りから覚めた僕は、空間をおぼろげに感じ、ゆっくりと意識の濃度を高めていく。
まるで濡れた指先で愛の手触りを確かめるみたいに。

春先や晩秋にかけての成田空港は、通称「ピーナッツ・ストーム」と呼ばれる強烈な突風に悩まされる日がある。
横風用滑走路を持たない成田空港では、好むと好まざるに関わらず、パイロットはこの強風に立ち向かう試練が与えられる。

高度を徐々に下げていくも、機体の揺れは止まらず、天井はミシミシと音を立て、手は冷たく、物憂げな汗に包まれる。
まるでひたむきに納豆を混ぜ続ける虚無僧のように。

高度約10メートル。着陸へのファイナル・アプローチ。
滑走路を目下に、機体の床からアスファルトの肌触りが感じられるまでに接近していく。

高度約1メートル。
着陸の衝撃に備えようとしたその時、僕の直感が「まさか」と叫んだ。

両翼のロールスロイス・エンジンが、MAXパワーでスロットルを開放し、機体を急激に加速させていく。
白とグレーが混じった窓の景色が高速で真横に流れ、次の瞬間には機体が再びオーシャンブルーの空に舞い上がった。

人生初の「ゴーアラウンド(着陸復行)」だった。

強烈な横風や視界不良により安全な着陸が見込めない場合は、パイロット又は管制官の判断で着陸をやり直すことがあり、世界中のすべてのパイロットはこの訓練を受けている。

全員が固唾を飲み、手に汗握る中、機長のアナウンスが流れた。

「We will try again.(もう一回やってやるぜ)」

2度目の着陸はなめらかで美しく、まるで政府がマフィアを一掃したあとの束の間の平穏みたいな情緒を携えていた。

2019年10月
東京・成田国際空港にて

佐々木ヤス子(6)

雫のついたトレーを持つ手が少し震えた。

洗い立てのトレーをろくろく拭くこともしないで積み上げるのは日本と同じだった。行き慣れた京都三条の丸亀製麺でいつも迎えてくれる馴染みのおばさまの笑顔に思いを馳せながら、異国の丸亀製麺の入り口に立っている。
「chicken」と書かれたプレートの後ろに並ぶ鶏天は見慣れたそれで、つい手が伸びる。ふとその隣を見ると、見慣れない天ぷらが並んでいた。アスパラガスの天ぷらだ。日本とは違うそのアスパラガスの天ぷらを少し緊張しながらトングで掴み、皿に乗せる。日本の丸亀製麺ならば、先にうどんを注文し後から天ぷらを選ぶところだが、どうやらこの店ではその順番が逆のようだった。

私は少し緊張していた。
張り出されたメニュー表に、うどんの名前が並んでいる。そしてその下に「並」と漢字でうどんのサイズが表記されている。そこまでは日本と一緒だった。その「並」という文字の下に、「並」という文字よりも大きく「medium」と書かれていた。その文字が私を緊張させたのだ。

「釜揚げうどん、ミディアム」と頼むべきか?

しかしながら私の中の丸亀製麺への愛とプライドがそれを邪魔する。丸亀製麺フリークとして、そして大和撫子としては「並で」と頼みたい。しかしながら先程から、列の前を行く客が次々と「ミディアム」と注文しては店員が「オーケー、ミディアム」と返している。これは郷に入っては郷に従うべきか。そもそもこの店員たちは、並という日本語を知っているだろうか。やはりミディアム、と頼むべきか。

そうこうしているうちに、遂に私の番がやってきた。私の中の大和撫子が、覚悟を決めろと呟いた。

「釜揚げうどん、並で」

沈黙が流れた。
店員と目が合う。
厨房の湯気がゆらゆらと揺れた。
彼は白い制服と同じような白い歯を見せた。

「カマアゲ、ナミ、デスネ!」

私は静かに震えた。
これだから丸亀製麺はやめられない。

酒田しんご(5)

「おい!右を見ろ!」

バスで突然誰かが叫んだ。
ふと窓の外に目をやると、信じられない光景が広がっていた。

サハラ砂漠のド真ん中で、大量の白いヤギが木の上に登っているのである。
1頭や2頭の話ではない、同じ1本の木にざっと10頭は乗っている。

まるで孤独を極めたシュルレアリスムの画家が、寝不足でキャンパスに筆を乗せたような光景がそこに広がっていた。
広い大地を見向きもせず、細い木の上に佇むヤギの姿はリラックスとは程遠く、アイスクリームをレンジで温めるような緊張感が否応なしに張り詰めている。

「これはアルガンツリーと言うんだよ」

僕が困惑していると、隣に座ったカナダ人の青年が青い目を輝かせて教えてくれた。
ありあまる感受性をタイムカプセルに詰め込んだような目だった。

カメラを片手に、ポケットからスマートフォンを取り出し、Googleで「アルガンツリー」を検索する。
好むと好まざるとに関わらず、砂漠の真ん中でも3G電波が飛び交う世の中なのだ。

どうやら砂漠の過酷な環境では、アルガンツリー以外の植物は育たず、ヤギたちはこの木に登り実や葉を食べることを覚えた。また、ヤギたちの排せつ物は堆肥としてアルガンツリーを育てる役割も果たしているという。ヤギとアルガンツリーは共存共栄の関係が成り立っているのだ。

「ヤギの成る木」とはまさにこのこと。
あっけにとられるファジーな僕たちに向かって、1頭のヤギがニッコリと微笑んだ。
まるで壇上でブルースを歌う道化師のように。

2020年3月
モロッコ・サハラ砂漠にて

佐々木ヤス子(7)

「あんた忘れてるけど、学生の頃かなりイカれてたよ」 

少し前の昼下がり。
高校時代の友人と梅田でランチをしていた時に突然友人からそう告げられた。
予約して入店した店には小さくジャズが流れ、背丈よりも大きな観葉植物がいくつも飾られていた。私はフォークでパスタを絡める手をとめた。

「うそでしょ、イカれてなかったよ。」
「ううん、イカれてた」 

その言い草に思わず笑ってしまったが、心外だった。高校時代の記憶は断片的にしかないが、品行方正な生徒だったと記憶している。
昼下がりのオフィス街にあるこのカフェレストランはガラス張りで、ビルの下には沢山の人が歩いている。遠くの方で待ち合わせに成功したカップルを見つけた。いいデートになればいいなと密かに祈って、パスタを口の中に放り込んだ。

「イカれてたって言うけど、どういう風に?」
「全部イカれてたけど…」

かなり聞き捨てならないが、彼女がゆっくりとノンアルコールカクテルを呑む姿を見ながら我慢して次の言葉を待った。彼女は小さく唇を舐めてから、こう続ける。

「私とあんたの座席が前後になった時期のこと覚えてない?」 
「覚えてない」
「薄情」
「申し訳ない」
「その時にさ、後ろに座ってるあんたがシャーペンとか何本も出しながらガチャガチャ何かやってんなーって思いながら授業受けてたの」
「うん」
「何やってたと思う?」
「え、授業のノートとってたんじゃないの?」
「ちがう」

彼女は呆れたように笑った。
彼女は小さな声で店員を呼び止め、カクテルをもう一杯注文する。その声が、私に対する声色とあまりにも違うので私も笑ってしまった。

「それで、何やってたの?」
「その後さ、あんたが私の肩を叩いてきたから振り向いたら、なんて言ったと思う?」
「なんて言ったの?」
「へいらっしゃい」
「へいらっしゃい?」

予想外のセリフに声が裏返る。
意表をつかれ、ぽかんと口をあけ間抜けな私に彼女はこう続けた。

「あんた、マイムで焼きそば作ってた」

カラン、と音を立てて彼女のカクテルの氷が揺れた。

酒田しんご(6)

「NO!!! NO!!!」

30歳の手前にもなって、旅先で怒鳴られるとは思っていなかった。

モロッコ・マラケシュのメディナ(旧市街)にある「ジャマ・エル・フナ広場」は、夕暮れと共に本来の姿を表した。

蛇使いの大道芸人や靴磨きの男たち、民族楽器「トバイラ」を打ち鳴らす集団、そのリズムに身体を揺らす女性、オートバイや自転車で行き交う人々、水売りの派手な衣装の男、絨毯など日常品を売る商人…etc

昼間はガランとしていた広場が人で埋め尽くされる様子は、まるで蜂の巣のすぐそばに甘い蜂蜜をたっぷりと垂らしたようだった。

人々は何か見えないものの現実離れしたエネルギーに突き動かされていた。
すべてが雑然として、まとまりのない、それでいて奇妙におもしろい。そんな雰囲気が広場に充満していた。

「ジャマ・エル・フナ」とは、アラビア語で「死者たちの集会場」の意味であり、元々は公開処刑場として使われていたとか。

広場の熱気に圧倒されながら、風景を撮影していると、民族楽器を叩く男性がこちらに向かって怒鳴った。まるで深い洞察力を備えた夜行性の猛禽類のように。

のちにわかったことだが、モロッコ人(特に既婚女性)は写真に映ることはタブーであり、この広場に集う人々にカメラを向けることは御法度であった。

祈りのような神聖な混沌を自分勝手なロゴスで切り取ったことを恥じて、雑踏と人いきれを背にホテルへ戻った。

一度きりの人生で学ぶには、世界はあまりに広く、アフリカの大地はひんやりと暖かかった。

2020年3月
モロッコ・マラケシュにて

佐々木ヤス子(8)

「What’s the purpose of your visit?」

中学生の時に習った英語を私は頭の中で反芻しながら緊張していた。
わたしがまだ20歳そこそこの頃だった。
初めての海外旅行に胸を高鳴らせながらも、空港に降り立った瞬間の日本とは違う匂いに身体が無意識に強張った。
きっとここで起こるほとんどのことが、人生で初めてのことばかりなのだ。

パスポートと入国審査のカードを皺にならないように握りしめながら、列に並んだ。

「What’s the purpose of your visit?」
「What’s the purpose of your visit?」
「Sightseeing.」
「Sightseeing.」

英語の授業中に先生に続いて復唱していた頃は、ただただ面倒くさく、肩肘をつきながら窓の外を眺めていた。ほとんど動かない空を見つめ、こんなの復唱しなくてももう覚えたからとたかを括っていた。しかし大人になったわたしはというと、先生に感謝をしながら必死に頭の中で「Sightseeing.」をくりかえしくりかえし発音するのであった。

「Sightseeing.」と言う聞き慣れた声がする。
同行していた家族は次々と順調に入国審査を終え、ゲートの外へ出て行った。
ついにわたしの番が来たのだ。

大柄の男性が小さな台の中でこちらを見つめて待ち構えている。目が合うと余計に緊張してしまい、私は足取りが重くなる。

「ハ、ハロー…」
「Hello.」

口を少し開き、旅の目的を聞かれるのを待つ。
Sightseeing…Sightseeing…Sightseeing…
頭の中で反芻するわたしの顔とパスポートとを交互に眺める男性。

「Ah〜…」

すると突然、男性はパスポートを見るのをやめ、そっと机に置いた。わたしの横のゲートを次々と人が通過していく。わたしと担当の男性の間にだけ、沈黙が流れる。

ゲートの外にいる家族が心配そうに私を眺めている。明らかにわたしの所要時間だけが長いのだ。何か問題があったに違いない。そんな心配そうな目が家族からわたしに向けられていた。次々とゲートを通過する人の隣でわたしだけがゲートを通れずにいる。
しかも、旅の目的も滞在日数も聞かれずに、ただ男性と沈黙を共有しているだけなのだ。

「Ah〜…」

緊張と動揺のせいで硬直してしまった身体。
わたしは先程少しひらいた口を閉じれないままでいた。男性の言葉を待つことしかできないわたしは、肉食動物に捕食される直前の草食動物のようだ。

すると男性がゆっくりと口を開いた。
緊張が全身を駆け巡る。
しかし、男性から発せられた言葉は聞き慣れた日本語だった。

「カワイイネ、ドコノホテルトマルノ?」

佐々木ヤス子(9)

「今からお前に人生において大切なことを教えてやるからな。」

20年以上前、祖父はそう言って食前の話を始めた。
祖父が食事に手をつけるまで、決して食事を始めてはならない。
我が家はそれなりの家系だったが故に、私は祖父に厳しく育てられた。祖父の食前の話は30分以上続く。興が乗る日などは2時間以上、腹ペコの状態で躾けられた犬のごとく食事の前で「待て」をさせられるのだ。

この日の話は何十回と聞いた話だった。
祖父は同じ話を何回も何回も同じ鮮度と臨場感を保ったまま繰り返す。同じ芝居を何十回も繰り返す役者の身には、それが羨ましくもあるし尊敬に値すると今となっては思えるが、当時はただただ「早く話し終えて食事を始めてくれ」という感想しか湧かない腹ペコの童(わっぱ)であった。

「今から大切な話をするからな。」

祖父はそう言いながらパイプに火をつけた。
パイプの香りは好きだった。少し甘くて香ばしい匂いがした。
祖父はパイプを何本もコレクションしており、タバコは時々しか吸わなかった。木の杖をついてパイプを吸い、ベレー帽を被ってしゃがれ声で哲学についていつも話していた。祖父の声はもうほとんど覚えていないが、パイプの香りは時々思い出す。人の記憶は音については曖昧で、匂いについては鮮明だという。

「一番楽しい遊びを教えてやる。」

すでに冷めきった食事を挟んで、祖父はそう言った。
この食事が麺類だったならばすでに伸びきっているだろうが、祖父は麺類が大の好物だったのでそういう日の話は短く済んだ。うどんが好きで病院が嫌い。好奇心旺盛で臆病な人間だった。
憎くもあるし敬愛もしている祖父から教わった、忘れられないことがある。それは人生にとって一番楽しい遊び方だった。

「蛇の尻尾を掴んで反時計回りに回せ。そしたらピーンと棒みたいに固まるから。それを池に投げて遊べ。」

何十回と聞いたその話を片耳で聞きながら、その日もまた「はい、わかりました。」と空腹の童は了解したフリをするのであった。

酒田しんご(7)

ナシゴレンの不味さについて語りたいと思う。

ナシゴレン(nasi goreng)とは、インドネシアを代表する焼き飯料理。
インドネシア語で、nasiは「飯」、gorengは「揚げる」の意味。いわばインドネシア版のチャーハンと言ったところ。

インドネシアの国民食であると同時に、CNNによって「World’s 50 Most Delicious Foods」に選出された料理である。

ちなみに、ミーゴレン(Mi goreng)は、「ミー:麺」の意で、焼きそばバージョン。

**

羽田空港から、ANA直行便で、インドネシアの首都・ジャカルタへやってきた。
渋滞がひどく、街全体が排気ガスで満たされた温室のようだった。

ホテルに荷物を置いて、ビジネス、ショッピングの中心地・南ジャカルタ市にある「Blok M Plaza」というショッピングモールへ。

レートが良いことで有名な両替屋「Tri Tunggal Money Changer」でルピアをゲットして、意気揚々とランチへ向かう。
まるでおもちゃ売り場で解き放たれた5歳児のように。

「美味しいナシゴレンが食べたい」

僕が初めてジャカルタへやってきた、たった一つの理由だった。

僕が初めて行く国では、必ず覚えていく3つの言葉がある。

①こんにちは
②ありがとう
③おいしい

この3つ。インドネシア語では、

①Halo!(ハロー)
②Terima Kasih(テリマカシー)
③Enak(エナック)

だ。

「とにかくエナックなナシゴレンをシルヴプレ」

この一点に収斂される熱きマイソウル。食べたくて…夏。

タイの旨みたっぷりのカオマンガイ。ベトナムの滑らかなフォー。
色彩豊かなスパイスとフレッシュな素材が高次元にマリアージュし、舌の感受性に強く、ときに優しく問いかける。
東南アジアの食文化には、幾度となく感動してきた。

初・インドネシアの第一食目。
記念すべきナシゴレンをスプーンに乗せて口へ運ぶ。

「「「どうしてこうなった」」」

油でギトギトのインディカ米、強すぎるニンニク臭、甘いソースのケチャップマニス、小エビを発酵させた魚醤のトラシ。

甘いと辛い(と酸っぱい)が究極に不自然なバランスで同居する味付け。

王将のチャーハンを天日干しして、大量のウスターソースをかけましたと言わんばかりのジャンクofジャンク。

「ベリー…エナック…」

引きつった笑顔で店員に会釈をして、ピザハットに駆け込んだ。

2018年10月
インドネシア・ジャカルタにて

佐々木ヤス子(10)

9月、暑い暑いと文句を垂れながら、ネイビーのロングドレスに袖を通して、髪を一つに纏め上げた。
イヴ・サンローランのお気に入りのハイヒールを履き、背筋を伸ばして年に何度か訪れる場所がある。

奈良の日本料理、「白 Tsukumo」という店だ。

店主のこだわり抜いた月替りの懐石料理は、一品一品創意工夫が尽くされており、タイトルも食材も、そしてもちろんお味も美しい。皿の端から端まで、美味い。こんなに幸せな食事があるだろうか。この店で楽しむ時には、是非カウンタ席を予約してほしい。

店内に音楽は流れない。
店主と料理人の静かな手付きを眺めながら、静かに酒を楽しむだけだ。料理を待つ時間もまた、この店の魅力である。

美しい箸さばきで料理を盛り付ける。
出汁を取る。
「はい」という店主の小さな掛け声と共に椀に、もう一人の料理人が食材を盛り付け、店主が出汁を注ぐ。その間約10秒。あまりにも美しいその連携に圧倒されていると、コトリ、と目の前に椀を置かれる。

「萩の月でございます」

椀の蓋をそっと開けると、湯気がふわと上った。蓋の裏には金色の稲穂。そして蒸気が結露し、滴る色気を纏った満月が描かれていた。

「なんとも立派な松茸ですね」

隣の客が言う。
店主は「お楽しみください」と静かに返した。

私はそっと出汁を口に含む。
こんなに香り高く、繊細な出汁はきっとこの店でしか味わえない。そんな幸運に感謝しながらゆっくりと箸を取る。

綺麗な松茸だ。
四季のある日本に生まれてよかった。そんな大層なことを思った。箸で迎えたその松茸は、きっと私に秋の始まりを教えてくれるだろう。松茸の胞子は撒かれてから24時間ほどしか命がないという。そこからうまく土にたどり着いたものだけが、5年10年、もしかしたら20年の時を経て成長する。そんな奇跡が今、目の前で時の尊さを、私に教えてくれているのだ。

「いただきます」

わたしは小さく敬意を払い、そっと頬張った。
それからゆっくりと何度も何度も噛み締め、嚥下する。

天井を見上げた。
そして、私は静かな店内で、静かにこう思った。

「ワイ、松茸の味わっかんねぇ」

ヤス子の珍ポエム
「椎茸のほうが美味くね?」

酒田しんご(8)

「通勤ラッシュの御堂筋線か?」

まさかパリに来てまで、満員電車に揺られるとは思わなかった。
フランス屈指の歌劇場「オペラ座」の正面から地下鉄に乗り込んだ矢先の出来事。

昼下がりのパリジェンヌたちが、まるで冬眠から覚めて立春の寒さをしのぐミツバチのように身体を寄せ合う。
車内中央に移動したくても身動きが取れない。
やれやれ、資本主義を象徴する満員電車は、今や世界のどこにでも溢れた光景なのだ。

「Be careful!!!」

シャープな顔立ちに、短く整えられたヒゲが印象的な紳士が突然こちらに大声で叫んだ。

まるで何の前触れもなく、ハリウッド映画のラストシーンに放り込まれたような気分だった。

ここまで電車に乗り込んで約10秒。
目まぐるしく変化する状況に脳が追いつかない。
ただでさえ、この1週間で6ヶ国を移動してきたのだ。

男が叫んだその数秒後、ぬるま湯に浸かりきった己を猛烈に恥じた。

僕を取り囲むのは往年のパリジェンヌではなく、極めて不自然なアルカイックスマイルを浮かべたスリ少女の集団だった。

「ジィィーーー…」

リュックのファスナーが開く音が肩を通して伝わる。
間一髪のところで身体を反転して阻止して、財布とカメラの感触を確かめる。

次の駅で逃げるように電車を降りていく少女たち。
緊張から安堵への急降下で、にじみ出る冷や汗。

紳士に御礼を言いたいものの、まるで何事もなかったかのように友人と話し続けている。
次の駅、彼は座席を立ち、颯爽と歩きはじめた。

「あ、あの!お名前だけでも!」

こちらに見向きもせず、ホームを闊歩する紳士の背中。
車内に漂う小粋な余韻。

これだからパリを嫌いになれないな、と思った。

2020年3月
フランス・パリメトロ8番線にて

佐々木ヤス子(11)

「人って映画以外でも殴り合うんだ」

一瞬の出来事にあっけにとられながら、私の呑気な右脳がそう言った。

初めてロサンゼルスに降り立った日のことだった。
LAに到着してホテルでチェックインを済ませたあと、すぐに街へ出て日差しの強いひらけた道路を小走りし、列車に飛び乗った。サンタモニカへ向かって。ギリギリで閉まる扉に「ラッキー」と心が躍り、初めて買ったメトロタップカードを嬉しくて握りしめた。そんな高揚感たっぷりの旅の始まり。その、ほんの10秒後。

「〜〜〜〜〜〜!!!!!」
「〜〜〜〜〜〜〜〜music!!!!!」

まだ現地の言葉に耳も慣れておらず、はっきりと聞き取れなかったが、男性の大きな声が二つ聞こえた。どうやら、ある男性の聞いていた音楽についてもう一人の男性が何やら意見しているらしい。確かに電車に乗り込んだ時から、車内には随分と大きな音量で曲が流れていた。私の呑気な右脳は「ロサンゼルスのメトロってクラブみたいでファンキーだな」などと考えていたが、どうにも二人の男性の会話を聞くに様子がおかしい。

男性二人の小競り合いは続き、口論は激しくなってゆく。このあたりでやっと私の平和ボケした呑気な右脳も、「これってもしかして喧嘩じゃないか?」と気付き始める。そしてその瞬間・・・

ゴッ・・・!

口論を続けていた男性二人の、その後ろの方で腕を組みながら沈黙していた第三者のおじさんが、口論をしていたうちの一人を突然殴ったのである。しかもグーで。「えーーーーー!当事者でもないあんたがーーーー!?」と私の中の実況者が阿呆みたいに心の中で叫んだ。そしてそれと同時にじわじわと恐怖が私を侵食し始める。人が人を殴るところを初めて見たのだ。

人って映画以外でも殴り合うんだ。
人って殴ると「ゴッ」ていうんだ。
血が、出ているな。
血が、出てる。
赤い。
血が、赤い。
鮮血って赤いな。
怖い、かもしれない。
怖い、なあ。
怖い。
怖い。
怖い。

ジリリリリリリリ!!!!!!!!!!!

誰かが押した列車の緊急停止ボタンによって鳴り響いたベルで我に返った。
ほどなくして列車は駅でもなんでもない普通の路面に停車し、喧嘩をふっかけた原因の男性、そう、殴られ流血している男性は捨て台詞を吐きながら住宅街へと降りていった。

車内は途端に穏やかになり、殴った男性も音楽を爆音で流していた男性も「やあゴメンね、騒がせちゃって!」とウインク一つかましながら微笑んだ。何事なかったかのように、再び車内には陽気な曲が流れ始め、めいめいがリズムに乗ったり歌ったりと楽しみ始める。

そう、これがロサンゼルス。
これがロサンゼルスなのだ。

呆気にとられた私は、まだ穏やかな空気に馴染めずに体を強張らせたままであった。先ほどの鮮血の赤が網膜にこべりついたまま、窓から差し込む太陽が明るくて目がチカチカした。殴りあいの喧嘩の後でも、ロサンゼルスの太陽は力強くて暖かい。日本の日差しとは圧倒的に違うその強さで、私の恐怖を強制的にほぐしてゆくようだった。そしてそのおかげで少しずつ体の緊張がほぐれてゆき、私もようやく列車の椅子に腰を下ろすことができた。しかしその安堵もつかの間、座席の背もたれに体重をかけようと体を後ろに倒してゆく私の右目の端に、何か真っ赤なものが入り込んできた。

その瞬間、先ほどの光景がフラッシュバックし、一気に再び体を強張らせる。

もしかして、さっきの、血・・・?

恐る恐る、視界の右端にある赤い何かの存在を確かめる為に視線を移す。私はそれを見て、固まってしまった。そして私の呑気な右脳だけがこう言った。

「座席と座席の間に、イチゴが挟まってるな」

酒田しんご(9)

オレンジ・ジュースをすっかり飲み干した後、留保のない空腹感が僕を襲った。

16時を過ぎても陽射しは重く、いささか僕を疲弊させた。空気はひどく乾燥し、色彩を持たない風が僕の頬を撫でた。

思えば、朝の6時にマラケシュに着いてから、中央駅のカフェで、クロワッサンとチョコレート・パンを齧ったきり、まともな食事などしていないのだ。

ジャマ・エル・フナ広場は、まるで死体を失った葬儀場のように、がらんと静まりかえっていた。

広場を見渡せるカフェ「Aqua」のテラスに腰をかけ、鶏肉とレモン、オリーブのタジンを注文した。

“Tajine de poulet”

poulet(プーレ)
=(仏)鶏肉の意

とんがり帽子のような形の蓋が特徴の独特な鍋を使った「タジン鍋」はモロッコ名物で、結論からいうと、僕はこの料理と恋に落ちた。

穏やかで、でも躊躇のない恋だった。

レモンのコンフィはきわめて上品に塩漬けされていたし、オリーブは端麗で説得力のあるコクを舌の上に踊らせた。

鶏肉は芸術的ともいっていいくらい柔らかく、オリエンタルなスパイスの反映がそこにあった。

今までこんなに柔らかく、かつ味が抜けておらず、むしろ旨さが凝縮した鶏料理を食べたことがあっただろうか。

僕は目を閉じてため息をつき、どこまでも深く、悩ましい幸福を脳裏に焼き付けた。

食後のモロッカン・ミントティーがテーブルに運ばれ、夕暮れの闇が迫り始めた頃、さっきまで静かだった広場が人で埋め尽くされ、異常な熱気が渦巻いていることに気づいた。

ジャマ・エル・フナ広場の夜明けと共に、僕は僕の人生を祝福した。

2020年3月
モロッコ・マラケシュにて

佐々木ヤス子(12)

人は本当に美味いものに出会った時、それを口に入れる10センチ手前から味覚を支配される。
佐々木ヤス子(スシロー、炙りぶりしゃぶに出会った時の一言)

私は一瞬で恋に落ちた。
指で掴むのをためらう程、やわらかく繊細なその芸術品を口にほおばり込む10センチ手前のことであった。舌の上に乗った瞬間、香ばしくも甘い香りが私を包み込んだ。羽毛布団で昼寝をしているような暖かさを彷彿とさせる。

「あぁ、これだ・・・」

利き食パンーーー
数人で、一斤2000円の高級食パンと6枚切り118円のヤマザキパン社の食パンを目隠しした状態で食べ、どちらが高級食パンかを当てるというゲームをしていた。
私は口に入れた瞬間、勝利を確信した。
甘く、やわらかく、そして程よい弾力。噛むと歯に合わせてふわりと沈み込み、やさしく舌を押し返す。噛めば噛むほど甘みが増し、香りが鼻を抜けてゆく。これだ。これ以上のパンはない・・・。

本当に美味いものとの出会いは人に幸せを与えるが、同時に悲しみを与える。何故ならば、咀嚼するにつれ口の中からそれが無くなってしまう、その寂しさと悲しさを抱えながら食べ進めなければならないからだ。

口の中で、名残惜しくも溶けて無くなってゆくパン。
私は、最後の甘みを口の中から逃がさないように、小さく唇を開いた。

「これが、高級食パンですね。」

「ちがいます。」

酒田しんご(10)

「あかん!変換プラグ忘れてもうた」

スマホの残り充電はわずか20%
ここは北欧の玄関口、コペンハーゲン国際空港。

これから12時間トランジットのヒマを全力で潰すべく、スカンジナビア航空の「SASラウンジ」にピットインした矢先の出来事だった。

変換プラグの入ったスーツケースは、航空会社に預けたままで、経由地でピックアップすることはできない。

昨日までいたアメリカでは、コンセントは日本と同じAタイプ、しかし、ヨーロッパではCタイプ。

毎日のように違う国に移動すると、信号のマークも違えば、車線の方向も、地下鉄の改札の通り方も違う。ありがとうの言葉や、麺のすすり方だってそうだ。

僕はひどく混乱した。
結局のところ旅をするとはそういうことなのだ。

**

ニューヨークから7時間半のフライトで大西洋を渡り、コペンハーゲンに到着したのは朝7時。
接続便は夜19時発のフランクフルト行き。

「12時間も空港にいるなんて気が狂ってる」

もっともな答えだ。

「私と飛行機どっちが大事なの?」

どうか落ち着いてほしい。

空港から出ず、ラウンジでの待機を決めたのには訳がある。

2月のデンマークは最低気温マイナス1℃。
そして、コペンハーゲン観光は「徒歩で半日あれば見終わる」ことで有名で、すでに2019年の秋に名所を周って何の感動もなかったのだ。

ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『人魚姫』をモチーフにしたブロンズ像は、ある種の死に方を想い起こさせるほどくたびれていたし、

運河沿いに立ち並ぶニューハウンは、曇り空に色彩を吸い取られた街並みを、退屈な水面に映し続けた。

ーー残り充電8%

僕はフレッシュなオレンジ・ジュースをコップいっぱいに注ぎ、トングでポテトチップスを白い皿に盛った。

青い目の北欧のビジネスマンに囲まれて、ある種の通過儀礼を含む神聖な儀式のように時間をかけて、優雅にポテトチップスを食べ続けた。

「たっぷりと何かに時間をかけることは、ある意味ではいちばん洗練されたかたちでの復讐なんだ」

3杯目のオレンジ・ジュースとポテトチップスを口に放り込む。
すっかり1年分のポテトチップスを食べ切ったところで、僕は大きく息を吸った。

ーー残り充電2%

たしかに僕は旅をしている。

寒空の下、場違いな工業地区を背景に、水辺にたたずむ人魚姫に想いを馳せる。

恋心のあまり、尾びれを足に替えるため、海の魔女に自分の声を引き渡した人魚姫。
そこには期待があり、興奮があり、犠牲があり、悟りがあった。

僕は息を大きく吐いて、そっと目を閉じた。

2020年2月
デンマーク・コペンハーゲン空港にて

佐々木ヤス子(13)

「二度と会わない可能性の方が高いから、写真を撮ろうよ」

3月だった。
ブレザーのボタンは後輩に強請られ、外してしまった。
「二度と会わない可能性の方が高い」という言葉は、わたしのだらしなく開いたブレザーの裾を軽く揺らすだけで、深刻なことのようには感じられなかった。

高校の卒業式の日に、クラスメートが言った言葉だ。
まあまあ仲は良いし、タイミングが合えば喋るけど、親友というわけでもないその子が、私とその周りにいた数人の友人に向かって「写真を撮ろう」と言った。
私達は「そんなこと言わないでよ、会おうよ」とその場で冗談めかして騒いだけど、彼女の方が私達よりもこの後の人生についてよく知っていたらしい。

「二度と会わない」かもしれないから、と言った彼女とは本当に一度も会っていない。

私、または私達の殆どはきっと人生の時間を大切にしていて、会いたいと思う人にしか時間を割かないし、知りたいと思う人にしか電話をしない。私はその事を高校生の頃は理解していなかった。クラスメイトというだけで友達であるなら、私はきっと強制的に会わない環境になったとしても、自然と彼女に会いたくなるし、彼女もきっとそうなるはずという傲慢さで生きていた。しかし、彼女は「人生の時間の使い方」について肌感覚でしっかりと理解していたのだ。

大人になった私は、数人の同級生としか会わないし、薄情なことに大多数の同級生の名前を忘れてしまったし、彼女の顔も、名前も思い出せずにいる。

しかし、時々思い出す。 
「写真を撮ろう」と言った彼女が太陽に照らされた壁際にいたこと。
耳の上で切りそろえられたショートカットの黒髪が、やけに大人に見えて寂しかったこと。

酒田しんご(11)

「人が一人死ぬというのは、どんな事情があるにせよ大変なことなんだよ。この世界に穴がひとつぽっかり開いてしまうわけだから。それに対して私たちは正しく敬意を払わなくちゃならない。そうしないと穴はうまく塞がらなくなってしまう」

ー1Q84〈BOOK3〉/村上春樹

スーツケースを失って、僕はモロッコのマラケシュにやってきた。

世界遺産の旧市街の中心「ジャマ・エル・フナ広場」はガランと静まり返っていた。
「Jamaâ El Fna」=アラビア語で「死者たちの集会所」の意。
ヒッチコックのサスペンス「知りすぎていた男」のロケ地としても有名で、かつては公開処刑場として使われていたそうだ。

「メディナ」と呼ばれる細い迷路状の旧市街を抜けて、400m四方の広場に足を踏み入れた瞬間、極めて低温のノスタルジアに精神が包まれた。
まるで死者の霊が、人々の潤いを使い古しのオブラートで包んだように。

それは他のどこでも味わったことのない種類の行く当てのない哀愁だった。

昼下がりの太陽の鋭角な日差しの下、広場を歩き続ける。
サハラ砂漠を旅する内省的なラクダのように、一歩一歩にホリスティックな意味を求めながら。

「チャイナ??コリアン??」

威勢の良い男の声が、僕の自問自答を中断させた。

「ジャパン?シャチョー?」

ーーそうだ、僕は社長ではないが、はるばる日本からやってきた。

振り向くと新鮮なフルーツがびっしりと並べられた大きな屋台の上から、ヒゲ面の男が本当か嘘かわからないような笑顔でこちらを見ている。

マラケシュ名物、生搾りオレンジジュースの屋台だった。
一杯、4ディルハム(=45円)の看板が目に映る。

注文すると、キンキンに冷えたオレンジが、目の前で丸々3個くらい絞られて、透明なガラスのトールグラスに注がれる。

その一挙手一投足は、無感情でありながら、正確無比でいて、オレンジへの敬意が確かに感じられた。

「ボナペティ!(召し上がれ)」

よくできた舞台セットのハリボテのような笑顔で男は言った。

グラスと釣り銭を受け取り、乾いた喉に冷たい酸味とやわらかな甘みを流し込む。
今まで飲んだあらゆるオレンジジュースが偽物なのかと思うほど、人生最高のオレンジジュースだった。

ほとんど反射的とも言っていいほどの安堵感に包まれ、この潤いが好むと好まざるとに関わらず死者たちに届く日を願った。

「メルシー ボクー(ありがとう)」

男に釣り銭をすべて返し、社長よろしくその場を去った。

2020年3月
モロッコ・マラケシュにて

佐々木ヤス子(14)

「例えば消したい過去があるとして、その過去の写真が君の目の前にあるとして、その写真にどんなに穴を開けたって、元データを消さなけりゃ意味がないんだよ。開けた写真の穴も、ただただ塞がらないだけさ。」
ー佐々木ヤス子

小学3年生の時、みかん畑へ遠足に出掛けた。
生まれて初めて足を踏み入れたみかん畑は、当時の私にとってはあまりにも広大で宇宙のようだった。
木々が鬱蒼と茂り、その枝葉の間にオレンジ色の丸い果実が輝いていた。 

「宝石なんて見たことないけど、きっと宝石より綺麗だ。」

誰にも聞こえない小さな声で呟いた。私の呟きは木々の揺れる音になびいて、みかんの畑に溶けていった。嘘だ。そんなことは呟かなかったし、思いもしなかった。ただ「うまそう」とだけ思った。

それからのことはあまり覚えていないが、皆でシートを広げ弁当を食べたりみかんをもいでは食べたりしたのだと思う。その時感じた高揚感だけが、今も私の中に残っている。そしてその高揚感のまま、クラスの決められた班ごとに笑顔で集合写真を撮ったこと。そしてその写真が後々、学校の教室前に張り出されたこと。そして皆に配られたこと。

そして、その集合写真の私のパンツが丸見えであったこと。

もし当時に戻れるとしたら、しゃがんだ私の足をそっとワイヤーで締め上げるだろう。その場にいる大人に羽交い締めにされたとしても、私はペンチを振り回しながら「足を”ををを!と、閉じでぐれぇぇえ!後生ですからぁぁあ!!!」と喚き散らすだろう。
さもなければ、ゆくゆく彼女はクラスの中でパンツ丸見え写真をネタにされ、当時好きだった男の子にも自分のパンツを見られてしまうのだから。

一瞬の筋肉の緩みは、一生の恥となる。

あの時のオレンジ(みかん)の味を思い出すと、今では涙の味がする。

酒田しんご(12)

「昼飯をごちそうしてもらったくらいで一緒に死ぬわけにはいかないよ。夕食ならともかくさ。」
ー ノルウェイの森/村上春樹

僕は深夜のニューヨークで意識が朦朧とした。
ろくに夕食も食べず、かれこれ7時間ほどカクテルを飲み続けている。

NY屈指の名門バー「エンジェルス・シェア」から始まり、世界バーランキング常連の「カタナ・キトゥン」「エンプロイーズ・オンリー」へ。

午前3時、最後のカクテルを飲み干した。
かれこれ10杯目だろうか。

トイレから戻ると、カウンターでいっしょに飲んでいた男ーーー彼はグラフィック・デザイナーで、同じカクテルを3回連続で注文するような変わり者だったーーーは、僕の分の会計まで済ませて突然姿を消してしまった。

行くあてもない「ありがとう」が宙に浮かぶ。
彼は僕のことを気に入ってくれていたけれど、カクテルをごちそうになったくらいで初対面の男と一緒に死ぬわけにはいかないのはお互い様だった。

「かなりラディカルに飲んだな」と思った。
「radical」の語源はラテン語の「radix」で「根」を意味する。
激しく、急ぎ、そして、根源的に酒に溺れていた。

ドアを押して、店の外に出る。
マイナス2℃の風が僕の頬を打つ。

ゆっくりと息を吐き、舌の先に残った甘いリキュールの余韻を頼りに記憶の糸を辿る。
僕はまわりの世界の中に、自分の位置をはっきりと定めることができなかった。
そもそも、ここは本当にニューヨークなのだろうか。

足取りは錆び付いたブリキのおもちゃのように重く、視界は手振れ補正のない古いハンディカムのようだった。ゼンマイを巻く力も、テープを巻き戻す力も残っていない。
唯一の救いは、混沌とする思考の引き出しの一番奥に、限りなくクリアーな一点の光をこの目で見たことだった。

それは、ヒステリックな彫刻家が神に誓って作り上げた金属像のように冷徹で美しかった。
希望というものは、絶望のすぐ隣にあるからこそ信じられるのかもしれない。

御仏のほほえみのような何かに背中を押され、黄色いタクシーを呼び止める。
運転手にホテルの名を告げ、そっと目を閉じた。

強烈な吐き気と共にベッドで目を覚ますまで、僕は親密で、ハートフルな気持ちに包まれた。

2020年2月
ニューヨーク・ウエストビレッジにて

佐々木ヤス子(15)

「WARNING」
「WARNING」
『WARNING』
『WARNING」

生きていて、こんなにワーニングを聞くことになろうとは思っていなかった。
「warning」の主な意味は「警告、注意、戒め」であり、語源は・・・わからん。なんかワニワニパニックで大変だったんじゃない?
とにかくこんなに他人からの警告を受けたのは人生で初めてのことだった。

人生の初めて、という出来事を私はほとんど覚えていられない。
初めて自転車に乗ったのはいつだったか。
初恋が始まったのはいつだったか。
初めて恋人ができた瞬間はどんな風だったか。
ファーストキスはいつだったか。
忘れてしまった「初めて」を思い、センチメンタルになる夜もある。私が忘れてしまった初めて達は一体誰が掬い取ってくれようか。
私は忘れてしまった思い出を思い、窓の外を見た。
見慣れないシンガポールの夜明け前の景色が、そう、それはもう、それはもうすごい速さで過ぎ去っていく。

「WARNING」
「WARNING」
「WARNING」
「WARNING」

「空港までお願い」
ホテルでタクシーに乗り込み、そう告げた私にタクシー運転手の男性は「任せて」とウインクをくれた。
そのまま私は深夜のタクシーに揺られながら目を閉じたかった。目を閉じたかったのだ。
しかしどうだろう、車内に幾度となく鳴り響く「WARNING」という機械音。彼がアクセルを踏み込むたびに鳴り響く「WARNING」。完全にスピードの出し過ぎである。私のセンチメンタル、一瞬で転じて恐怖。恐怖である。

ああ、悲しい哉ヤマトナデシコ。
「モア スロウリー」が言えないの。

速い、怖い怖い、速い怖い怖い、ああ、ぶつかる、ワーニングワーニング、速い、怖い怖い、1、3、5、7、11、

私は素数を数え始めた。
意識を飛ばすには素数が一番だ。

67、71、73・・・

半ば朦朧としながらシートにしがみつき、素数を唱える。
ああ、御仏よ・・・

293、307・・・

「もう着くよ」

御仏よ!!!!助かった!!!心中で私は絶叫した。
着く、もう着く。やっと地面に足を下ろせる。ああ、地面が恋しい。

「間に合った?」

空港に入りながら運転手の男性は得意げに聞いてきた。
ああ、わかる、「急いでくれてありがとう」待ちをしているのね。ヤマトナデシコ、分かっちゃうの。

「うん、じゅうぶん・・・ありがとう」

ナデシコはそう答え、空港のロータリーに停まるタクシーに大きく揺られながら「慣性の法則ぅ・・・」と小さく呟いた。
小さな、小さな、ナデシコから彼に対する「WARNING」である。

「じゃあ、また来てねシンガポール」

最後に一つまたウインクをくれ、彼はタクシーを走らせる。

強烈な吐き気と共にスーツケースを引きずり、私は地面の心地よさと、少しだけハートフルな気持ちに包まれた。

酒田しんご(13)

「スーツケースもなしに知らない街にとり残されたような気分だった。」

僕が好きな村上春樹の短編の一節より。

僕は今、異国の地で、スーツケースもなしに特急列車に揺られている。
ニューヨークから大西洋を渡って、コペンハーゲン、フランクフルトを経由して、モロッコ・カサブランカへ。
1日で3回も飛行機を乗り継いだせいで、僕のスーツケースは予想通り無くなってしまった。

冷え切った空気をのせて回り続けるターンテーブルをぼうっと見つめる。
やれやれ、これだから旅を嫌いになれない。

心臓の高鳴りが僕を安心させる。たくさんのありがとうをポケットに詰め込む。この宝物は誰にも奪われやしない。

僕は航空会社のカウンターでレポートをもらい、パスポート、財布、カメラだけを携えて、モロッコの古都・マラケシュ行きの始発に乗り込んだ。

午前5時。
結露したガラス窓から見える景色は、シャーベットのように触れただけで溶けてしまいそうな暗闇だった。

列車が走り出し、くたびれた旅人がキャビンの電灯を消す。乗客はみな、死者に神聖な祈りを捧げるように口をつぐんだ。

生まれて初めてのアフリカ大陸。列車が軋むたび、人生の思い出が心をノックする。

僕の人生を変えてくれた60歳の恩師は、約30年前、この列車でモロッコの女性と深い恋に落ちたそうだ。
誰かが引いたレールの上にも、きっとロマンチックは転がっている。

午前6時。
心配性の睡魔が僕の耳元にそっと語りかける。
昨日からのフライト続きで、かれこれ30時間近く陸上で寝ていないことに気付いた。

ウトウトを繰り返す度、晩年の画家が、最期のキャンバスに油絵を塗り重ねるように空が白んでゆく。
記憶の隙間から溢れる夢のしずくで、心のグラスが満たされる。

最後の一滴が音もなくゆっくりと落ちた瞬間、僕はそっと目を瞑った。

午前11時。
年老いた車掌が僕に到着を告げる。
赤いベルベットの背もたれに太陽が差し込む。

まだあたたかい夢の短編集を、心の引き出しにそっと閉まって、僕は新しい一歩を踏み出した。
スーツケースなんていらない、と思った。

2020年3月
モロッコ・マラケシュにて

佐々木ヤス子(16)

「なんか…あの…旅行で使うトランク…?ケース…?ってネットで買う時、何て検索すればいいの?」

数年前、機内持ち込み用のスーツケースをネットで買おうとして、私は戸惑った。1週間後に控える舞台の遠征用にどうしても至急必要なのだ。

「キャ、キャリー?」
「トランク?」
「ケース?」

全て自分の思うような検索結果にならない。
トランクと打ち込むと、スパイ映画でよく薬品とか銃が入ってるアレが出てくるし、キャリーと打ち込でもソイツが出てくる。もういいんだお前は。お前を見たいんじゃないんだ。ケース、お前ならどうだ?違う、何だその農作業で使うようなお前!私がしたいのは農作業じゃないぞ!いい加減にしろよ!!私が会いたい、君の名は…?そう思いながら「君の名は」という映画を観たこともない私は途方に暮れた。

午後5時。
お前の名前は一体何なんだ。
お前に会いたい。
このネットの大海原のどこにいる?
検索画面ばかり見ていると頭が痛くなってきた。
雨の音が心地よく私の眠気をノックする。

午後6時。
かれこれ10時間ろくに寝ていないことに気がついた。どうりで眠いわけだ。お昼寝をしていないのだ今日は。
外はもう夕暮れ。
地平線は太陽と抱擁をしたいと頬を染める。
私も布団と抱擁をしたい。しかしアイツの名前を、知らずして…そんな事は出来ない…。

午後11時
真っ暗な部屋の中で私は目覚めた。
ベージュの柔らかい敷毛布は、暗くてその色はわからなくなっているが、確かに私自身の体温を含んで暖かく柔らかい。
リビングルームへ行くと、スリープ状態になっているパソコンがいた。

ーああ、そうか。
結局、私は君に会えないままだ。

ゆっくりとソファに腰掛ける。
寝起きの倦怠感からか身体は重いが、なぜか心は晴れやかだった。
私は、そっとお気に入りのゲーム機の電源を入れた。

スーツケースなんていらない、と思った。

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